第72回選抜高校野球閉会式

 (平成12年4月4日:阪神甲子園球場)


優勝した東海大相模と智弁学園の受賞に「栄光」が演奏された

「春はセンバツから」にふさわしい決勝戦日和となった甲子園球場で東海大相模
高校と智弁和歌山高校が激突した。そして、8回に2点を入れて勝ち越した東海大
相模高校が優勝した。閉会式では両校の栄誉をたたえて仁川学院生5名を含む
西宮市高等学校吹奏楽連盟が得賞歌「栄光」、大会旗降納「今ありて」、国旗降納
「君が代」、そしてファンファーレ演奏した。それぞれの生徒の心の中に甲子園球場
のグランドがしっかり刻み込まれたようであり、満足げであった。今年のセンバツも
さわやかな春風の中で幕を閉じた。


激闘でデコボコになったマウンド付近でファンファーレが演奏され、閉幕した

国際園芸造園博ジャパンフローラ2000吹奏楽の日

猛暑の中で行われた淡路花博「吹奏楽の日」(兵庫県吹奏楽連盟主催)は
会場のあちこちで演奏やパレードが行われ、花博会場は吹奏楽一色となった。


9時30分の開会に合わせてオープニングコンサートの準備が進む

お客さんが列をなして入場口に近づく

オープニングコンサートが始まった!

これが初舞台の中学生も頑張っている!

トロンボーンも数え切れない本数だ

関学、県西、湊川女子に混じって仁川も健闘中!

野外劇場での151名の西阪神地区演奏
指揮:内海大成(関西学院)


メインテーマ「Welcome to Flora」を指揮する内海先生

直射日光をタオルで避けて演奏するクラリネット隊

「翼を下さい」を指揮する南哲哉(仁川学院)

広い会場を楽器を持って移動することも吹く以上に大変!
吉永先生自らも指揮台代わりの机を運ぶ姿が見える


「カッポレねぶた」を演奏する県立西宮高校

指揮をするというより踊る吉永陽一先生(県立西宮)

ねぶた踊りの生徒たち

生徒全員が入っての花博でのねぶた祭り再現となった

実は仁川学院のはっぴなのだ!

「翼を下さい」は手話と合唱と吹奏楽の大演奏となった


花博の合同練習が白熱化!


湊川女子高校の川崎宏紀先生が合同152名を指導される

外の気温は35度を超える中、日陰では少し涼しさを感じるこの頃、県立西宮高等学校の
講堂ではそれを超える暑い練習が続いている。総数152名(関西学院、県立西宮、湊川女子、
仁川学院)の大編成で懐かしのメロディーや迫力のダンスミュージックなどを朝9時から
5時30分まで昼休みをはさんで行われた。この間パート練習で顔つなぎをしたり、歌や踊りの練習をしたりと、バラエティーにとんだ練習に、本番がますます期待される。

花博(ジャパンフローラ2000)合同ステージに湊川女子高校も参加!

合計4校による花博参加となった。どんなステージになるのか今から楽しみだ!

兵庫県吹奏楽コンクール西阪神地区大会

兵庫県吹奏楽コンクール西阪神地区大会
(平成7月24日西宮アミティホール)


部員たちが涙にくれる中、厳しい表情で表彰を受ける荒川聡子
(吉永先生の表情もよくやったと言ってくれているようだ)

去る、7月24日(土)西宮アミティホールで始まった兵庫県吹奏楽コンクール西阪神地区大会の
高等学校S部門に出場した仁川学院吹奏楽部は(保科洋作曲「風紋」)最優秀賞の甲陽学院、
西宮北、西宮東に続いて12校出場中4番目の成績で金賞を受賞した。しかし、部員達の大きな
目標だった、県大会出場には1歩届かず、残念な結果に終わった。部員たちの努力に拍手を送る
とともに、ご声援をくださった先輩、保護者、関係者の方々に深く感謝する次第です。
ありがとうございました。


昨年の最優秀賞を返還する。来年は奪還だ!
(荒川部長が渡辺秀之新理事長へ)

西宮市吹奏楽連盟定期演奏会

西宮市吹奏楽連盟1999年定期演奏会
OB吹奏楽団として初出場

(西宮アミティーホール)

記念すべき初出場!仁川学院OB吹奏楽団
(平成 11年7月11日(日)西宮アミティホール)

「ラテン・サン」の最後、川端豊のソロ!

岡崎、古崎、ばんだ、鈴木らの顔も見える

ばんだ、浜田、小豆沢、安田らも熱演!

去る7月11日の西宮市吹奏楽連盟1999年定期演奏会に仁川学院高等学校
吹奏楽部とは別に「私立仁川学院高等学校OB吹奏楽団」が現役と合同で
出演することになった。最年長29歳から中学1年の13歳までの若いバンドで、
毎日曜日仁川学院高等学校の音楽室に集まって熱心に合同練習をして本番に
臨んだ。曲目はホルスト作曲「第一組曲」全曲と「ラテン・サン」。現役は
コンクールの自由曲である「風紋」を演奏した。

たくさんの見に来てくださったお客さん、大きなホール、どれをとっても初めての経験
(または久しぶり)という部員やOBが多かったが演奏が進むにつれて調子もあがって
いき、拍手も盛大でお客さんの反応も上々だった。しかし、やはり中学、高校A部門に
出場する50名編成のバンドの迫力、そして鍛えられたサウンドには唖然とさせられた
だろう。やはり、基本的なところからの積み上げが必要であることを改めて
思い知らされた。


初出場の本番に向けてOBとの合同にも熱が入る
(平成 11年7月11日(日)仁川学院高校音楽室)

第71回選抜高校野球大会閉会式式典演奏

(平成11年4月4日 阪神甲子園球場)


さあ、閉会式!余裕の表情!

沸きに沸く優勝した沖縄尚学のアルプス席
甲子園のグランドは熱戦でデコボコになっていた
応援の熱風は閉会式ではやわらかい春風に変わった

4月4日春の到来を思わせる晴天の中、初出場の沖縄尚学高校が水戸商業を下し、
見事沖縄県に初の優勝旗をもたらした。雨天練習場で最後の練習を終えた西宮市
高等学校吹奏楽連盟の選抜バンドは優勝戦の興奮が冷めない中で優勝旗、優勝杯、
メダルの授与、(栄光)大会旗降納、(今ありて)国旗降納(君が代)、そして予定に
なかったファンファーレをマウンド付近で演奏し、閉会式を終えた。

 

吹奏楽指導者研修会特別演奏

(1999年3月27日兵庫県立西宮高等学校講堂)

兵庫県吹奏楽連盟主催指導者研修会は3月26日、27日の2日間、県立西宮高校で行われた。
モデルバンドは夢野中学校と三田西陵高等学校、2日目はサックスとフルートの講習会も合わせて
行われ、仁川学院の部員たちも参加した。そしてモデルバンドの発表が終わった後、この研修会は
関西学院、県立西宮、報徳学園、仁川学院の4校の合同演奏で締めくくられた。1曲目は
エルガー作曲威風堂々第1番(南哲哉指揮)、2曲目「恋のカーニバル、特別仕様」
(池田純也先生)が演奏され、盛大な拍手を受けた。


威風堂々第1番(エルガー作曲)
4校合同(関西学院、県立西宮、報徳学園)演奏。エルガーの名曲であり、
イギリス国民に愛唱されている難曲の威風堂々を見事に演奏し切った。


恋のカーニバルを練習する4校合同バンド
(兵庫県立西宮高等学校音楽教室)

この研修会は昨年の12月に県立西宮高校の吉永先生より打診があり、4校で相談して合同練習の
日程が組まれた。県立西宮高校はアンサンブルコンテストが県大会、関西大会まで数多く進んでおり、
CD録音も予定されていた。また4校はいずれも選抜高校野球大会の演奏の練習もあって、なかなか
練習を合同でするのが難しく、初めは関西学院、報徳学園、仁川学院の3校で練習してきた。そして、
県立西宮高校の加入によりますます、曲が仕上がってきて、少ない練習期間とは思えない集中力の
ある演奏ができるようになってきた。また、威風堂々は県西の音楽室での最終練習で本場イギリスでの音楽祭の演奏を映像で見て感じをつかんだ。前回の定期演奏会での合同から半年、それぞれの学年の生徒たちが着実に成長してきていることを感じさせた。今後は各校での活動になるが、この合同での成果を生かせるようにしていきたい。

学院祭コルベ講堂ステージ

(1998年10月4日仁川学院コルベ講堂)

吹奏楽部の本拠地でのOBとの合同演奏
ホルスト作曲第1組曲を演奏する(指揮 小豆澤 俊)

10月4日に行われた学院祭2日目、コルベ講堂ステージの最後を飾る「吹奏楽部」
の演奏はOBを含めて演奏された。OBとは夏合宿から休日ごとに学校に集まって
演奏しており、息もぴったりだった。また、難しいソロなどでは音楽大学出身のOBが
美しい音色を奏でていた。


指揮をする小豆澤俊先輩(大阪音大3年)

曲目はブロックM、夜空ノムコウ、ホルン協奏曲3-1(モーツアルト作曲、
ホルン独奏福井日陽)第1組曲(Aリード作曲)。特に生徒で指揮をした笹山靖希、
ホルンの福井日陽、昨年大ミスをした甲斐由記の名誉挽回、華麗な打楽器の
木下美貴子、上達ぶりが目立った山口祐子、OBではオーボエのソロを奏でた
菱谷沙千子(大阪音大)らが輝いていた。


吹奏楽部の長老も活躍!

S.SAXも真剣な眼差し!

兵庫県吹奏楽コンクール西阪神地区大会


兵庫県吹奏楽コンクール西阪神地区大会

コンクールで金賞グランプリ!
県大会へ進む仁川学院吹奏楽部(1998年)

(高等学校Bの部 曲目/スウェアリンジェン作曲「ノヴェナ」)

今年の夏のコンクールでは西阪神地区大会高等学校Bの部で連盟賞(最優秀賞)をいただき、
兵庫県大会へ出場することになりました。そして今日8月7日アミティーホールで見事に金賞を受賞し
みんな大喜びです。

いにしえの吹奏楽部とOBたち

いにしえの吹奏楽部の写真を発見!

この写真はおそらく1984年から85年にかけてのもので、コルベ講堂2階で吹いている、
それ以降の退部者が写っている、そろいのトレーナーを着ているところから、1984年度
卒業式ではないかと思われる。その頃の今では信じられないエピソードを紹介しようと思う。

1、クラリネットは全員がプラスチックである。木管のをまだ見たことがなくクラリネットと
言えばこれだと信じていた。
2、学校の楽器のホルンに直接イニシャルを彫りこんだ部員がいた。
3、チューニングを知らなかった。したことがなかった。
4、1年のほとんどが休みだった。もちろんコンクールも出ていなかった。
県や市への登録もしていない。
5、出席率が極めて悪く、10回連続で出席した部員に表彰状をあげていた。
しかし本番3日前からは誰も休まなかった。
6、練習以外での結束力は高かった。着ているトレーナーも生徒たちでデザインして作った。


竣工して一年経っていない講堂2階。
コンクリートが乾いていなかったので音響は最悪だった。

まあでもそれなりに楽しく、私も駆け出しの頃で無我夢中だったと思う。しかし、誰も指揮を見ていない・・・

 

吹奏楽部OB列伝
森さわ 武士(もりさわたけし)


合宿で水風船大会を企画し、びしょびしょになった部員たちと
OB全員を風呂に入れた。夏の合宿ならでは!

真中で笑っているのが森さわ武士君

「OB列伝」と名前を変えた今、トップに来る人はこの人しかいないであろう。昭和59年仁川学院
高等学校入学後、吹奏楽部に所属、部長を勤めるなど貢献度は生徒の頃から高く、また卒業
してからも彼を中心に他のOB会にはない独特の雰囲気の中心人物として現在に至っている。
このように書くと親分肌のように思われがちだが、決して「俺について来い」タイプではなく、
彼の発想の豊かさ、行動の早さ、人柄にみんなはただただ感動し、賛同しているのである。

卒業後10年以上も経ち、社会的地位の高いところにいながらも、いつまでも仁川学院
吹奏楽部を忘れず、気にかけてくれ、支援を惜しまない彼をOB、部員たちは敬愛して
いるのである。


タバコを吸うまねをして周りを驚かそうとしている若き日の森さわ君

彼の子供のような心、それと相反するすべてを達観した見識と行動。彼の人格は
吹奏楽部の今の自由な雰囲気を作ったと言える。


左端が森さわ君、吹奏楽部のゆかいな行事はすべて彼の発案である。

吹奏楽部OB列伝
土屋 啓二(つちやけいじ)


コンクールへの再挑戦で吹奏楽部は活動を再開した。それまでは人数が足りず、コンクールどころではなかったのである。吹奏楽コンクールの歴史を語るとき、忘れてはならないのが始めに「コンクールに出よう!」といった土屋啓二君のである。(1985年入部)彼は名門宝塚市立南ひばり中学校で活躍してきたフルーティストだったが、進学した当時の仁川学院高等学校吹奏楽部の現状を目の当たりにして、部員に目標を持たせるため、そして他の学校の演奏を聞いてレベルを上げるためにも是非、コンクールに出場しなければならない、と考えたのである。いろんな講習会や演奏会に部員を誘ってもなかなか乗ってこなかったのも大きな理由の一つだった。そこで野球の応援と文化祭、そして卒業式などの学校行事だけにとどまっていた吹奏楽部の部員たちの多くの反対を押し切り、顧問を説得して連盟に登録し、コンクールの申し込みをして1986年7月、ついに仁川学院吹奏楽部を高等学校B部門に登場させたのであった。結果は西阪神地区大会銅賞だったが、その直後に早くも翌年へ向けての目標をぶち上げ、自分が顧問とともに指導する立場となり、音合わせのしかた、練習のしかたなどを整備した。教則本や楽器など も顧問と相談してそろえていった。なかなか付いてこない部員たちを引っ張り、ほとんど彼一人が全パートの練習に付き合った。「毎日練習すること」「腹式呼吸をすること」「楽譜の通りに演奏すること」の金賞をとるための3つの条件は永く部室や音楽室に掲示され震災で校舎が倒壊するまで後輩たちに伝えられていった。そして、彼が卒業してからその教えは見事に実を結んだ。まさに彼の縦横無尽の活躍は、「仁川学院吹奏楽部復興の祖」といって差し支えないだろう。